桜のころ

つぼみの頃 (3月28日撮影)
満開の頃 (4月9日撮影)
葉ざくらの頃 (4月16日撮影)
ヒカンサクラ (4月3日撮影)

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機   材
キャノン PSG1
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撮影場所
六甲山中腹

桜のころ
 

自宅から仕事場に向かう途中数十本の桜の木が見える。長い冬を抜け出し春の気配でイッキに蕾をふくらませ、そして今を盛りと咲ききそっている。散り始めた枝もあり、入学式に急ぐ親子連れの新一年生の帽子に花びらが舞っていた。母のことを思った。
満開になった桜のトンネルの中、三樹小学校の門をくぐった。昭和二十五年四月八日のことだった。ほとんどの子は母親と一緒だったが、私の手をひいているのは何故か姉だった。九人兄弟の下から二番目ということもあり母も多分忙しかったのかもしれない。幼いときからの記憶ではあるが母は男まさりで、いつも凛としていた。とても九人の子供を育てたとは思えない若さがあり、自慢の母だった。小学校、中学校、高校と母親は一度も学校へは来たことがなく、当時はそのことが不思議なこととか、変だとか思ったことは一度もなかった。母は「忙しいんだ」だから来れないんだと思うことにしていたから。
二十二で結婚し、二人の子供が幼稚園、小学校と入学、卒業の都度当然ながら家内は子供と一緒に連れ立って出席する。その光景を喜び、祝いつつ心のどこかで自問自答し、苦笑していた自分がそこにあった。「あの時、母親はなんで来れんかったんかなあ…」と。
毎年桜のころになるとほんの一瞬ではあるが将棋の「千日手」に嵌まったような気持ちになる。今、母に尋ねる術(すべ)をしらない。母が逝ってから三十三回目の春である。

母の面桜見るたび見るたびに (一鵠)
名月や乳房咥(くわ)へて指さして (花嬌)
おさな日の花火はじけり母の膝 (一鵠)
冬木立きぶくれ雀寄添って(一鵠)
初時雨雀ふくらむ梢二羽(一鵠)
虎落笛カタカタコトと終電車 (一鵠)

                                  文.店主  長谷川功一

                                  平成13年4月10日記